シリア支援団体
Piece of Syria 代表

中野 貴行

Nakano Takayuki
2006年3月 国際関係学科 卒業

支援が終わる日を目指して、
活動を続ける。
シリア支援団体
Piece of Syria代表。

「信じるな、疑うな、確かめろ」を
実感した日。

初めてシリアを訪れたのは大学4年生の頃。留学中に知り合った友人を訪ねてトルコへ向かった後、陸路でエジプトまで足を伸ばすことにした中野さん。その経由地の1つがシリアでした。当時はイラク戦争から2年しか経っておらず、どことなく隣国であるシリアの治安に不安を感じていましたが、実際は夜に出歩いていても不安がないほど平和な国。商店街を歩いていると声を掛けられ、お茶をご馳走になり、言葉がわからず戸惑っていると小学生が英語の通訳をしてくれ、映画スターのような質問攻めにあったそうです。イメージしていたシリアとは全く違うものでした。
「いつか国際協力を仕事にしたい」と思い、選んだのが神戸市外大だったこともあり、就職した会社を辞めて、青年海外協力隊に応募。合格して派遣された場所がシリアでした。農村部で母子保健のプロジェクトに参画。まずは村の中で生活し、モスクや学校、役場と協力しながら活動をしました。
中野さんが日本に帰国して1年後の2011年3月。シリアで戦争が始まりました。当時は、「すぐに戦争は終わる。落ち着いたタイミングで活動しよう」と思っていたそうです。しかし、一向に終わる兆しの見えない戦争の中、参加した講演会が中野さんのやる気に火をつけました。あるジャーナリストが戦争の一方の側を悪だと決めつけ発言していたからです。双方を取材することなく、かつ平和な時代を知らない彼に、自分の経験をもとに反論すると、「それは昔だ。俺は今行ったから、俺が正しい」と聞く耳を持ちませんでした。それなら「自分の目で確かめたい」と、シリア周辺国や欧州で難民となったシリアの人たちや支援団体を訪れ、3カ月で100人以上から話を聞きました。ジャーナリストの言うような単純な構図ではない「真実の声」を直に知ることで、「確かめる」ことの大切さを実感したそうです。

現在の活動を支えている
大学での学びと出会い。

実際に見聞きした現場の状況について「伝える」ため、そして、支援が実際に届いていない地域に教育を届けるために、2016年にシリア支援団体Piece of Syriaを立ち上げました。活動と並行して、日本企業のUAE駐在員やシリア難民支援団体のトルコ駐在員の仕事にスカウトされて兼務。もちろん、日常業務は英語とアラビア語で行います。ところが、中野さんの高校生の頃からの苦手教科は英語でした。それを克服させてくれたのが、神戸市外大で過ごした時間です。授業での英語に加え、クラブ活動のESSや語劇で英語を実践的に使用する機会を自発的に作りました。そして、何よりも今の中野さんにとって大きな支えになっているのは、神戸市外大で出会った仲間です。向上心の強い仲間に囲まれたことで、自分も負けてられないという気持ちで切磋琢磨しながら大学生活を過ごすことができました。ゼミナールでは国際法を学ぶ中で、先生から「ニュースを鵜呑みせずに、しっかりと確かめて、自分の考えを論理的に整理すること」を何度も教えてもらったことは、今の活動につながる大事な学びだと言います。

国際協力なんて不必要な世界を作りたい。

中野さんの夢は、シリアへの支援を終えられる日が来ること。シリアと聞くと戦争や難民という言葉が思い浮かぶ人も多いはずです。しかし、戦争が起こる前までは、教育は大学まで無料で、出産・医療も無料、自給率は100%を超えて、美味しい野菜・果物が安価で手に入り、昼の2時まで働けば家族8人が広い家に住めるほど非常に豊かな国でした。「シリアをまた行きたい国に」。その思いで中野さんは、シリア国内で、各国政府や国際組織から支援を受けられない学校・幼稚園へのサポートを続けています。シリアを復興させ、平和をつくるのは、日本人の私たちではなく、現地の子ども達です。しかし、教員の給料が支払えないため、教員がいなくなり、学校が閉鎖の危機にあります。そこで、毎年クラウドファンディング(寄附)を集めて、教員を支えることで、子ども達に夢や希望が持てる環境を守っています。
かつてのシリアを「伝える」ことで、日本の人たちに戦争への違和感を持ってもらうこと、そして、シリアの未来を作る主体である子ども達を「支える」活動をしています。
中野さんが願うのは、戦争が終わり、シリアの人たちがまた自立できるようになること。
そして、「いつかPiece of Syriaが活動をしなくてよくなれば一番いいですね」と語ってくれました。

OTHER INTERVIEW