養気院 副院長(鍼灸師)

岡本 悠馬

Okamoto Yuma
2007年 3月 中国学科 卒業

日本の鍼灸技術で
世界中の人々を驚かせたい。
中国語堪能な異色の鍼灸師。

将来を嘱望され
在上海日本国総領事館で働くも、
鍼灸の道を志すように

群馬県伊勢崎市の鍼灸院「養気院(ようきいん)」の副院長を務める岡本悠馬さんは、在上海日本国総領事館に勤務したことがある異色の経歴の持ち主です。
現在、鍼灸師であり院長の補佐役として院を運営するかたわら、中国語講師、翻訳者としても活動していますが、中国語堪能の秘密は大学時代にありました。

大学入学後、「自分に課した勉強が辛くて、泣きそうになりながら語学の習得に励んだ」と当時を振り返る岡本さん。
「大きな声で伸び伸びと」。‟発音の鬼”と呼ばれる先生からは、中国人さながらの発音を求められました。厳しい発音訓練の成果もあり、日本人が外国語を話すときの特有の気恥ずかしさを早い段階で払拭できたので、語学力の飛躍的な上達につながったと言います。
先生の指導のもと、めきめきと中国語を身に付け、中国教育部主催の「第5回 漢語橋 世界大学生中国語コンテスト」西日本大会で優勝。北京で開催された世界大会にも出場を果たします。

卒業後、将来を嘱望された彼は、外務省在外公館派遣員として上海で働くことに。在任中、上海での暮らしの中で鍼や漢方を学ぶ人たちと出会ったことが、彼の人生を大きく変えたのです。
子どもの頃から人体の仕組みに興味があったことも手伝って、次第に鍼灸の魅力に惹かれていきました。任期満了に伴い、領事館での勤務を終えて帰国すると、鍼灸の専門学校に入学。昼は中国語翻訳の仕事をし、夕方から夜遅くにかけて鍼灸の勉強に取り組むハードな日々が3年にわたって続きました。専門学校卒業後、すぐに神戸市内に鍼灸治療院を開院します。

自分の気持ちに正直に。
一念発起、群馬県への移住を決意

鍼灸治療院には中国語教室「南天中国語研究所」を併設。開院資金の返済に苦労しつつも、患者や生徒は徐々に増え、神戸市外大や大阪大学で教鞭を執り、翻訳書やテキストの出版、病院での医療通訳に携わるなど、医療知識と中国語を活かしながら順調に活動していました。
学生に対するサポートを惜しまない大学教員たちの姿が目に焼き付いていたので、それを手本に患者や生徒に親身に寄り添い地元で評判を高めていきました。
ところが、またしても転機が訪れます。
「整動鍼(せいどうしん)」という従来の経絡理論や中医学とは全くアプローチの異なる画期的な治療技術体系を創案し、鍼灸業界で注目を集めている「養気院」の栗原誠院長から「一緒に働かないか」と声をかけられたのです。鍼灸治療院を開院して5年、神戸で築き上げた実績を手放すことに迷いは生じたそうですが、最終的には院長に憧れを抱く自分の気持ちに従い、群馬県への移住を決意します。
決断の背景にあったのは「自由であることを優先して生きていきたい」という思い。学生時代や社会人生活で触れてきた正直に生きる中国人のメンタリティに知らぬ間に刺激を受けたのか、2019年、大学の非常勤講師を辞職し、鍼灸治療院を閉院。「養気院」の副院長に就任し、現在に至ります。

日本の鍼灸の素晴らしさを、中国をはじめ世界へ

そんな岡本さんの夢は、中国をはじめアメリカやヨーロッパなど、世界中の国々に日本の鍼灸技術を伝えることだそうです。鍼灸の本場といえば中国が思い浮かびますが、彼の実践する整動鍼の技術は全くの別物なので、得意の中国語を駆使し、その素晴らしさを中国にも広めていきたいと意気込みを語ってくれました。
「鍼灸は一生をかけて極められるもの」とストイックに追究することをやめない岡本さんですが、貪欲なスタンスは在学中に接した先生たちの自身の研究について語る姿に起因しています。「自分の好きなことを夢中になって語れる大人ってかっこいい」。このように感じたことが、強い探究心の源泉となっているのです。
「ゼロから中国語を習得するために努力した経験が今の自分を支えている」。語学習得の成功体験に裏付けされた自信があったからこそ、鍼灸の勉強にも打ち込むことができたと話します。だから、今後も必ず夢を実現できるはず――。中国語堪能な異色の鍼灸師の視線は、在学中と変わらず今なお海外に向けられています。

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